~放射状に放たれる抒情~
結社誌『開耶』に所属する歌人、伊藤美耶さんから『メトロノーム』という歌集が届いたのは、昨年の春のことである。奥付から拝察するに、私よりはるかに短歌の先輩だと思われる。『メトロノーム』というリリカルなタイトルと、淡いピンクかラベンダーといった色に縁どられた表紙の装丁に目を惹かれた。
その装丁を裏切らぬ柔らかな言葉選びと同時に、それとは逆の、ブラックユーモア的な表現の余裕も随所に現れ、作者の短歌の表現上での懐の深さを感じた。多彩な歌材の溢れるなかで、「悲しみの父」「弟」「母のカナリヤ」「母よ」「介護」にまとめられた歌に象徴されるように、近親者に対する想いが喜怒哀楽さまざまに、慈しみと、愛しさと、ときに怒りや諦めも込めて豊かに表現されている。
薄闇にカーテンのしみ数へつつ目の隅の方に父を捨て置く
襁褓とく片手ひそひそ夜具の中に動きゐたりて一心のまなこ
「悲しみの父」
二分ぽつちの診察なるに四時間を待ちつつ産毛さわ立ちてゐる
朱の花の前にひたりと吾を見し白猫(はくべう)もしや汝かもしれず
『弟』
花しやうぶ思ひの丈に咲きそろひ母を忘れてゐたい梅雨の間
エレベーターを怖がる母のつね歌ふカナリヤのうた二小節だけ
『母のカナリヤ』
いつか来るその時のためにこの柔な心を鍛へてゐるのです 母よ
言ひ聞かせ言ひ聞かせつつ疲れたり強かな葉は色深めゆく
『母よ』
母はもう岸辺に帰るすべのなく何処見る目の寂しさあらず
名を呼ばぬ母を怪しみ訊ぬるに次女の名前をすんなりと言ふ
『介護』
血縁のもたらす諦め、憎しみ、しかし根底には愛をひそめて詠ったこれらの作品が、折れそうで折れない作者のしたたかな心を証明している。巻末近くに配された母の「介護」の一群は、痛々しく辛いが。
このように散りばめられた家族の歌を覆うように、豊かな言葉運びの作品が救いをもたらす。
身めぐりを離れゆくものさばさばと今日砕けたる琉球の壺
紺青と藍青の濃さつきつめて思へばこころ彷徨ふばかり
両の手に髪たつぷりと掬ひあげ夕べの風を言はむと振り向く
しじみ蝶うすばかげろふ春の子猫ふぢ色の花の奥より来たり
わたくしのメトロノームよさくらさくら春の電話に繰り返すさくら
もう一つ、この作者の歌集では秀逸なオノマトペが印象に残る。歌人としての秀でた個性といえよう。
鎌倉は確かに横文字が似合ふ町ひらりひらりと若きの群れて
血の不思議DNA怖し暮れてゆくわれに父母の血どどつと濃ゆし
起きぬけは糊張りされてゐる体ゆわゆわゆらゆら馴染ませてをり
数日はわれの名前をほよほよと母の頭に織り込みてをり
ゆるゆると介護認定届き来て特養入所の許可を待ちをり
柱としてこの一冊を支える「家族」の歌と、そこからさまざまな言葉を巻き込んで、放射状に発散されてゆく作者の抒情性が素晴らしい。読後に感じるのは、柔らかな文体がもたらす癒しと、作者の心の深さからくるであろう、辛い物事に対するときの強さだ。もちろん弱さや、悲鳴に近い魂の叫びも感じる。が、短歌という器に盛ったとき、それらは作者の人生を映しだす絵模様のような作品群として、客観的なスタンスをもって読者に差し出されるのである。
ページを繰るたび、家族と四つに組み合ってきた、作者の覚悟のようなものが感じ取れる。
しかし、たぶん読者は、それを包んで余りある、たっぷりとした言葉の世界に遊ぶことができるだろう。作者の第二歌集にも期待が高まるところだ。
~決死の諧謔と自嘲と闘志~
吉田優子は2000年11月、二十六歳にして夭逝した歌人である。御遺族と、『短歌人』同人で作者と親交のあった歌人、故青柳守音氏が、遺歌集『ヨコハマ・横浜』を編まれた。作者は病を抱え、幼い頃からの学校生活にも「苦しみ」が付き物であったと聞く。常に学校や学友、医師に対する不信感に痛めつけられ、それを引きずっていた。しかし、それに負けまいと、作歌のほかに演劇活動やエイズ患者への支援活動、路上生活者へ目を向けるなど、自らも決して頑健とは言えない身でありながら、弱者に対して精一杯の活動をして果てた歌人である。作者の言葉選びは独特で、他に類を見ない。
葉ざくらが羽をやすめに腰かける誰かが落とした結婚指輪に
カラメルをとろり煮る午後猫が鳴く昨日はどこにもありませんよう
抄出歌は夢想的な歌だが、二首目の「猫が鳴く昨日はどこにもありませんよう」に着目する。今日でも明日でもなく「昨日」なのである。猫が鳴く声にあるいは不吉なものを感じ、それが過去という「昨日」に刻印されていませんように・・・と願う、作者の心の傷を見るのである。また、もうひとつの解釈として、「昨日はどこにもありませんよー」と呼びかける歌とも取れる。その場合意味は一変して、「猫が鳴く過去はどこにもありませんよー」と、未来を肯定する明るい歌となる。どちらを取るかは、読者に委ねられていると言えるだろう。
はいいろに鬼火くすぶる人という漢字一字のうしろぐらさよ
「人」という字にこれだけの意を盛る作者の感性は非凡だ。人という存在に潜む「うしろぐらさ」を知り抜いた作者の詠みぶりだが、「漢字」に焦点を当てているところが作者の感性の鋭さである。
蟹の這う横浜銀行。かべにぬる蘇州夜曲という塗り薬
大切なことはほかにも、見下せば大岡川を泳ぎぬく鯉
指をもて粗筋(プロット)たどれば幾重にもランドマークを締めつける雲
吉田は歌集タイトルの『ヨコハマ・横浜』からも知られるように、横浜で育ち、ヨコハマを愛し、ときには憎んでいたかも知れない。横浜でその一生を終えた作者の、歌に対する地名・固有名詞の多用からそのことがうかがわれるし、ここに掲げた一連は、そのことを如実に示しているように思われる。一首目の「蘇州夜曲という塗り薬をかべにぬる」という、傑出した比喩に、作者の愛憎が昇華されている。
箱根路の贄を免れ流麗にゴールテープを切るトランクス
あまり取り上げられていない歌だが整った作品だと思う。後に挙げた歌にもある、箱根駅伝のルートにあたる権太坂を実際に上り下りしていた作者にとって、「贄」の一字は、まさに魂からの実感であろう。
秋冷や海軍カレーのぬかるみにつかる缶切りはたちまちに底
執拗に洗いつづける ジーンズの藍がわたしに降参するまで
藻どろどろ一級河川の水を吸い女子用柔道着にちゃく沈む
作者らしい「決死の諧謔」の歌。三首目の歌は、女子用柔道着が二着、どろどろの藻にまみれて一級河川に沈んでいるという情景。実際の光景か作者の内的イメージかは分からないながら、女性という性と、学校を象徴する柔道着に、自らの来し方の傷が決死の諧謔となって歌に表れている。
次に病との闘いの歌。一気に十首挙げる。
二十一 首もくくらず飛び込みもせず二十一 われ二十一
副作用いとしみて飲む糖衣錠そこはかとなく漂う敵意
友達を狂気の側へ持って行かれ、境界の二歩手前にて待つ
ドラムビートの重い響きに脳を浸して十七時半の憂鬱
一握りの錠剤を呑む一昼夜眠りつづけてまたちがう朝
ぞんざいに病名を告げ陽光のするどさをもて送り出す医師
千代紙のげた土のくつ歩けないのに走ろうと私はした
這い出して食パン一斤たべ狂う深夜零時のシステムキッチン
しょくよくの塊かかえ権太坂のぼり又くだるので精一杯
待てこれを死ぬ前にまずこれを飲めと加速度を増す箸みそをとく
この一連の中で、特に七首目に注目したい。「千代紙のげた」「土のくつ」歩けるわけもないのに走ろうとした‐ここに病と闘いつつ、精一杯力を振り絞って、出来ないと半ば分かっていても、ものごとに果敢に挑戦して生き抜いた作者の凄まじい一生を見る思いがする。
また、三首目の「境界の二歩手前にて待つ」には、こころのバランスを崩しかけ、崖(きりぎし)に立った作者が踏みとどまろうとした必死の抵抗が感じられる。
そして十首目には切迫した狂気をみる。狂気の端にいても、それを作者特有の言葉回しで歌ったこの歌を読むとき、ここにも決死の諧謔を見るのである。
これらの一連には食欲に抗い、薬の副作用と刃をまじえながらも、一歩引いて自嘲する姿が見える。
そんな作者を想って詠んだ私の拙歌があるので挙げてみたい。
コンボイにスバル360をぶちあてつ ああ、おまへは生きた
石井綾乃『風招ぎ』~「翡翠山河」
アメリカ大陸を豪走するトレーラー集団コンボイに、軽躯のスバル360が挑んで果てた、そんなイメージを作者に持ち、歌った歌である。
最後に社会との「闘い」の歌。
旧電電公社独身寮囲む未だ認めない猫じゃらしのピケ
列島をけずって埋めて凹凸をすべてならせば平等な国
君が代はうたわなくても十分です 全員起立 校歌斉唱
みなとみらいなどとよぶには辛すぎる鈍色の土砂うつろなシャベル
社会の歪みにも十分目を配って、短歌のみならず実際の行動でも闘い抜いた作者。四首目の「みなとみらいなどとよぶには辛すぎる」は、みなとみらいの造成された時期と時を同じくして成長していった作者の、変わりゆく横浜=ヨコハマ=への哀惜と、国家に対する怒りが見て取れる。
最期まで歌いつづけた吉田優子。夭逝を予感したようなこの歌が、読者にとってたまらなく切なく痛い。
死んだならカラダ花火に作り変え玉や鍵やとはやされて散る
溢れる才能が断たれたことを心から惜しむ。